夢は、いつだって甘くて、曖昧で、幸せなものだから。

それならさ、
夢から覚めたと思って、これからを、生きれば良いんじゃないかな。

現実と夢の差なんて、その程度のものだから。




 溢れる想いを



「俺、伊東さんと一緒に行くよ」


予想はしていたであろう俺の言葉に
彼は一瞬表情を凍らせた。

ちょっとだけ、予想外。

最近の彼を見る限り
表面上、和やかに笑っているようには見えたけれど
やっぱり無理しているのは明らかだったから

だから、もっと取り乱すかな、なんて思っていたんだけれど。


「……そっか」


彼はそう答えただけで
感情の起伏をほとんど見せなかった。

諦めたように見せた渇いた表情で
笑おうとしたみたいだけれど

うまく、笑えていなくて。
全然、笑えていなくて。


泣きそうな空気だけが積もっていく。





「ひとつだけ」
「え」



ひどく静かだ。

二人きりの部屋も。彼の声も。
息が詰まるような、静けさ。
夜中にこっそり部屋に忍び込むような、そんな緊張感。

よく、眠っている彼の部屋に忍び込んで、その度に殴られたっけ。

覚えているかな。


いろんなこと、あったよね。



その度に、何度愛しいと想っただろう。
絶対に泣かせたりしないって、何度誓ったことだろう。

でも、それも一時のことで
幸せに浸っていた頃の
甘くて幸福な夢の中にいた、あの頃の
愚かで浅はかな夢でしかなくて。




「ひとつだけ、聞いても良い?」



でも、本気で、
一緒にいたいと思ったのにな。
ずっと、一緒に笑って生きていくんだろうなって
根拠もなしに思って

彼さえいてくれたらって、
本気で。

本気だったのにな。


「何?」



大事だった。とても大切だったよ。


でも、それより優先しなきゃならないことができただけ。


天秤にかけたらさ、
それがどんなに大切なもの同士でも
重いほうが傾くじゃない。

それだけだよ。



あんなことが、あったから。





「まだ、引きずってる?」



不思議だったのは、誰も引きずらないこと。
みんな、立ち直ろうとして、ふたをして、忘れようとして。

そんなの、俺はいやだよ。

そうすることで、今までのみんなとの、彼との幸せを
全部奪われちゃうんじゃないかって。

ぜんぶ、なかったことになっちゃうんじゃないかって。



「山南さんのことで、お前は、俺たちと……」



山南さんが死んで
泣いて、悲しみに浸って、慰め合って、
忘れたふりして、無理に笑って

笑って

そんなみんなを見ていたら、気づいたんだ。


引きずってるだとか、悲しいだとか、
そうやって駄々をこねているんじゃないよ。

先に進むためには、乗り越えることも必要だってわかっている。


きっとそこで、みんなと俺との、最初の違いが生まれたんだ。



「俺は」


俺、楽しさのあまり
居心地の良いあまりにさ、
忘れていたんだと思う。
俺たちの志とか、信念とか。

笑っていられるはずなんかない世界で、甘い夢ばかり見て、
成すべきことを、進むべき道を、忘れてしまったんだ。



「俺は、この国と帝のために、命を懸ける。そのために、生きていく」


今度こそ、ちゃんとやれるよ。

だって、現実と夢の差なんて、その程度のものだったんだから。
夢から覚めたら、同じ夢には戻れない。
次は、違う夢で、現実を生きれば良い。

山南さんの死が、傷になって、戒めになって、
今度こそ、一生、忘れない。




「山南さんが、教えてくれたんだ」



彼の瞳が揺れて、大粒の涙が静かに
何度も何度もこぼれ落ちて。


諦めにか、悔しさにか、熱いものが込みあげた。
抱きしめたい衝動を抑えて
溢れそうな想いを、彼の姿に灼きつけて、

決意の灯る拳で、すべて、握り潰した。


「……さよなら」


これが、俺の、最後の感情だったのかもしれない。



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