それは一週間前の約束だった。



 あまりにも悲恋



京介は、深く椅子に座り腕を組んでいた。顔は俯いている。
はたから見れば、考え込んでいるようにも居眠りしているようにも見える。

たぶん、どちらでもない。
指先が小刻みに動いて、落ち着かない様子。
一刻も速く席を立って駆け出したいのを理性が押しとどめている感じ。

俺の勝手な妄想だ。



「では、これにて解散します」

定例の会議が終わり、京介に声をかけようと立ち上がって名を呼んだ。

けれど、横にいた馬場が俺の声の3倍くらいのボリュームで
彼を呼んだから、俺の声はかき消されてしまった。

体もでかければ、声はもっとでかい。


「飯食うてかへん?」
「あー……」
「何?」
「今日は、ちょっと」
「用事あるん?」
「先約がな」
「そんなら仕方ないかぁ」


その会話を聞いて、口の端がわずかに上がる。
ちょうど一週間前、俺は京介と約束をしていたのだ。

約束と言っても、一方的に今日の午後予定を空けとけと言っただけだったのだが、
忘れていなかったらしい。
意外に律義な奴、と嬉しくて体温が上がる。


「悪い」
「ええって、気にすんな」
「じゃ」
「おう、またなー」


馬場は笑いながら京介の肩を叩く。
まるで気にしていないという顔。

だけど、それは表面だけの話だ。
きっと裏ではひどく落ちているのだろう。

何故かって、俺がいつもそうだから。


馬場は分かりやすい奴だから、そういう気持ちを
隠せていないことのほうが多いけれど、
そこに嫌味や悪意がないから、悪い印象はまったくない。
一方、俺はたぶんあからさまに不機嫌になっていると思う。(あまり自覚はない)

体がでかいと、それに比例して許容できる器もでかいんだろう。
間違っても、俺が短気なわけでも心が狭いわけでもない。……はずだ。



「……」


数秒、京介の視線が離れて行く馬場の後を追う。
すぐに視線は下を向いて、溜息をついた。

あまりにも複雑な表情だ。
あいつらしくもない。

後悔してる、って言いたげで少しムカついた。



「京介」
「つばき?」
「あんだその顔」
「意味わかんねえ」
「別に、意味なんてねえけど」


京介は何だよそれ、と薄く笑う。

かみ殺すように笑うのがこいつの癖で
俺はその癖がたまらなく好きだった。

馬鹿か、俺は。


「何か用?」
「は?」
「だから、何か用かって聞いてんだよ」
「お前こそ……」


きょとんと俺を見つめる京介。

それで合点がいった。

ああ、そういうことか。
また、俺の早とちり。勝手な思い込み。一方通行。
はい、お疲れ。


はいはいはい。そうですか。
そういうことですか。

だから、あんな顔したんだ。
罪悪を感じているような、我慢しているような、
でも安堵したような顔。
そしてそれは馬場に向けられていた。

ただその一方で、嬉しさを滲ませた表情。
はたから見れば、いつも通りの不機嫌な固い顔に見えても、
四六時中京介を見ている俺だから分かる変化だ。
落ち着かなく見えたのは、そういうこと。

俺との約束で、こいつが舞い上がるなんてこと、あった試しがない。
そんなこと、あるわけがないじゃないか。


ほんと、馬鹿だ。
馬鹿すぎて、笑えない。


「トニーか?」
「な、」
「顔、緩んでる」
「うっせーよ」
「ま、どうでも良いけど」
「馬場には……」
「言うな?」
「いや、何でもない」
「同情ならやめとけ」
「そんなんじゃねえよ」
「愛情か?」


ふざけてそう言ったのに、
京介は、不意をつかれたような顔をしてから、薄く笑った。

俺の好きなこいつの癖。


それは肯定以外のなにものでもなかった。
口で言わないのがこいつなりの礼儀と誠意なのかもしれないが
今から他の男の元へ向かうのに、愛情だのなんだの言っても
何の慰めにもならない。
誰も浮かばれない。

いや、浮かばれないのは、俺だけだ。


「時間ねえし、行くわ」
「トニーによろしく」
「覚えてればな」
「ぞっこんなことで」


そう言って俺は背中を向けた。
振り返るのは癪だったけれど、体が勝手に動いた。
まだ何か期待しているのか、俺は。

そして後悔。


姿勢良く歩く後ろ姿。
速くもなく遅くもなく、前だけを見て歩く姿に迷いはない。
俺が入りこむ余地はない。
一瞬でも振り返ることもなければ、馬場に向けるような顔もない。
俺には、何もない。


京介の足取りが若干軽いように見える。
トニーしか見えてないってか。
ほんと、ムカつく。

ああ駄目だ、変なフィルタがかかって、妄想的な見方しかできない。
喉の奥に苦いものが広がって。




「……京介!」

やるせなさ過ぎて、思わず呼びかけた。

おもむろに振り向く彼の視線が、俺を捉える。



「俺の今日の予定、知ってるか?」
「え?」
「ずっと、楽しみにしてたんだ」
「は? 知るか」
「だろうな」


怪訝な顔をして踵を返そうとした京介が
思い出したように動きを止めた。


「つばき」


俺の好きな
いちばん好きなこいつの癖。



「楽しんで来いよ」


不覚にも涙が出そうになって、笑えた。
笑うしかなかった。


(お前と過ごせると思って、楽しみにしてたんだよ)



なんて、報われない。
なんて、悲恋の連鎖。

誰も、彼も、あまりにも。




2011.12.25

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