誓いの約束は、
あまりにも陳腐で馬鹿げていて

光に溢れ愛おしく。



 敗因



何度となく通った道。

一人で歩いたときも、
隣にあいつがいたときも、
いつだって足取りは軽かった。

今日は寒い日で
体は重く、足は一向に前へ進もうとはしてくれない。

それもそうだろう。
だって俺は今日、別れ話をしに行くのだから。


「……はい」


5回目の呼び鈴を鳴らしたと同時に
ドアが開いて、不機嫌そうな声がした。

俺を認識した瞬間、
現状を把握できていないみたいで、
彼は完全に固まっていた。


「亮さ……」
「もう昼だけど、寝てた?」
「あっ、や、はい……あの、寝てたっていうか……」


久しぶりに顔を見て、相も変わらない狼狽え振りに
口元が少しだけ緩むのを感じる。

倉持が高校を卒業して、2年以上経っていた。

お互い別の大学へ行き、しだいに会う頻度は減った。
周囲の環境も、関わる人も、進む道も
なんとなく交わらなくなって

あの永遠とも思えた日々が、今は遠く遠く感じた。

それはきっと、彼も同じだろう。


「貸してた本、返してもらおうと思って」
「あの、ちょっと今散らかってて」
「そんなのいつもだろ?」
「いや、マジで今は……」


異様なくらい焦っていたから、おかしいとは思った。

靴を脱ごうとして、視線を下へ向けると合点がいった。

ああ、そういうこと。


「悪い、帰るよ」
「あの、違うんです!ちょっと服着てくるんで、外で……」
「いいって!」


差しのべられた手を払って、彼に背を向ける。

上半身裸にとりあえず履いたであろうジーンズ。
足元には、赤いヒール。
そういえば、香水の甘い香りが部屋に充満していた。


「亮さん……」
「まず一つ」
「え?」
「本は、いらない。お前が処分しとけ」
「え、ちょっ……」
「二つ。今日はお前と別れ話するつもりだった。でも必要ないな」
「ちが、誤解なんすって!別れ話って……」
「三つ」
「……亮さん?」
「……」


嘘つき。

そう口から出かかって押し留めた。
冷静に、と言い聞かせる。

別に何とも思わない。傷ついてもいない。
一応、はっきりしておきたかっただけ。
それだけ。

余計なことはいらない。
そんなの未練になるだけだ。

そう、それだけ。


「バイバイ」
「待っ……」


ドアを閉めて、アパートの階段を下りる。
下り切ったら、逃げるように駆け出した。

嘘つき。
嘘つきは俺だ。

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『何言ってんの?』
『だから、万一の話っすよ。絶対ありえねえけど』
『馬鹿じゃないの』
『馬鹿でも何でも良いっすよ。俺は、亮さんが好きなんです。この先もずっと、一生』
『口だけならいくらでも言えるって』
『だから、誓うんすよ』
『……ほんと馬鹿』
『ねえ、亮さんは?』

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誓いの約束は、
あまりにも稚拙で馬鹿げていて

それは笑って一蹴されてもおかしくないほどで。


「亮さん!!」
「……っ」


全力で追ってきたのか、息を荒げて
羽織っただけの上着も脱げかけていた。

割と本気で走ったのに、まだまだ衰えていないらしい。
こいつの足には到底敵わなかった。


「一人にして良いの、彼女」
「……彼女なんかじゃ、ないです」
「それってもっと悪いよね」
「亮さん……」
「何?」
「すいません……」
「何それ」
「俺を、」

「俺を殺してください……」


忘れていて欲しかった。

あんな、一瞬の熱に浮かされただけの、あまりにも青い、
滑稽な誓い。


「訳わかんない」
「嘘だ」
「あんなの、よくある常套句だろ」
「俺は本気でした」
「だから馬鹿なんだよ」
「亮さんだって……」
「……っ」
「亮さんだって、誓ってくれたじゃないですか!!」


『浮気でも心変わりでも、俺が万一、亮さんを裏切ったら』

誓いの約束は、
あまりにも陳腐で馬鹿げていて

『俺のこと、殺して良いですよ』

でも、その時の俺たちには
それが、この世のものとは思えないくらい
美しいものに感じたんだ。

『だから逆のときは、俺が亮さんを殺しても良いですか?』

希望に満ち光に溢れ
笑ってしまうくらい、悲しく、愛おしかった。


「俺が本気にするわけないじゃん」
「え?」
「お前がうるさいから、そんなこと言ったかもしれないけど」
「亮さん……」
「俺は、お前が生きようが死のうが、どうだって良い」
「……っ」
「お前に、もうそんな価値なんてないよ」


空気が澄んでいるから、空は真っ青だろうけれど
視界が滲んで、よくわからなかった。

俺は涙が溢れないように、顔を上げた。
彼は地面に膝をついて涙を零していた。
すいません、と何度も呟いた。


「ほんと、馬鹿げてる」
「……」
「お前は、俺を裏切って一人にした上に、犯罪者にまでなれって言うんだ」
「俺は……っ!」


不器用で陳腐だけど、ありったけの彼の想いが嬉しかった。
だから、ぜんぶ嘘だとわかった上で、 誓い合いたいと思ったんだ。


「俺は、亮さんのことが好きなんです……」
「うん」
「今も、ずっと……」
「うん、もう、やめよう」
「嫌です」
「もう、終わりにしよう」
「何で、っ……」


殺すことはできないけれど
代わりに、
こんなにも好きなことが、お互いを一生苦しめる枷となる。


「じゃあ、お前が俺を殺してくれる?」


それも、本望だ。


2015.2.17
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