一線を、越えた。



 反動


闇に小さな灯り。


躰は乱暴に引き裂かれ
その音が酷く耳に煩い。

精神はいつしか崩壊の途を辿っていたように思う。



蝋燭のか細い炎が
隙間風に揺らめく音を聞くたび
固く瞑られた眼が、恐怖に見開いた。



(見られて、いる……)


その後すぐに、誰に?と問う。

視線の先には、暗がりにぼんやりと映し出される二つの影があるだけで
それ以外は闇に溶け込んでいた。

自分の姿も、心も、呑み込まれてしまえば良いのに。


安堵か落胆か、そんな願いが頭を支配して、
その揺れる影に軽く笑った。



(そんなはずない)



そう口の中だけで呟いた言葉を
頭の中で何度も反芻させる。

そんなはず、あるわけがない。

なのに
ふとした瞬間に感じる視線に
何故だか、こんなにも怯えて。

一体、何の。
誰、の。



(ここにはもう、いないんだよ)


わかっているのに、
感じるのだ。いつも、同じように。
気配を、視線を。

そんなこと、あるはずがないと
どれだけ言い聞かせても感じてしまう。



彼を。
平助の、あの。


あの自分を見つめる眼を。

好きだよ、というその眼差しを。
同じように、同じ行為に耽りながら。




(バカげてる……)


こんなこと、しているからだ。
彼には言えないような
見せられないようなことをしているから。
だから引け目を感じているだけなんだ。

彼がいない淋しさに耐えられなかったからか
彼が自分を捨てたあてつけのためか
この身を快楽に沈め、委ねてしまったのは。


それとも、まさか。

まさか
彼に抱かれる幻でも、見られると思ったのだろうか。


そうだとしたら
バカげているどころの話じゃないな、と思う。



狂っている。




(……それでも構わないけど)


裏切りだって
知った上でのこの行為だ。

この
躰の重みが、罪の重みなのだろうか。

裏切ることに罪悪感はあった。
最低だな、とも思って。



(……でも、もう遅い)


裏切ったのは、彼だって同じだ。
悪いのは、彼のほうなんだ。

捨てたのは、彼なのだ。


気怠い躰。
湿った空気。
堕落する心。
救いようはない。

一つ、あるとしたら……



そう自嘲して
再び眼を固く瞑った。


そうしたら、彼の面影。




(へいすけ……)



もう彼はここにはいなくて。

自分に覆い被さるこの男が
彼じゃないことなんてわかっているのに、

眼を閉じて
知らない男と彼を重ね合わせて

それを泣いて喜んで。嘆いて。
そして彼がもういないことを
知らない誰かと交わるたびに深く思い知らされる。


汚い。汚い。汚い。

愚かな繰り返し。




(重、たい…………)


この、躰の重みを
彼は知らない。


罪悪感は、もう、ないのかもしれない。

だって
誰に抱かれているかなんて
彼は知らない。
何も知らない。


こんな俺を、 平助、お前は、微塵も知らないんだ。

これは、それだけからの、
反動。




(俺をこんなにしたのは、お前なのに)



感じる
この、重みが
彼の腕だったら良いのに。


平助の温もり、だったなら……。


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