キス



別にそれが愛の印だとは思わないけど
ウエンディと仲良くするスタンは決まってゲロを吐くから。
そのおかげで、幸運にも寸でのところでいろいろとお預けみたいだけど。

スタンとウエンディはいつも一緒にいるわけじゃない。
スタンと誰がいつも一緒にいるかて言ったら、きっと僕だ。
僕たちは親友で、たいていは一緒にいると思う。

だから、スタンといちばん仲が良いのは、僕。
僕とキスをしたらスタンはゲロを吐くのかななんて考えた。


「スタン、今日ガッコ終わったらうち来る?」
「なんで?」
「今日留守番頼まれて外でらんないんだ」
「そうなんだ」
「新しいゲーム買ってもらったからうちでやんない?」
「マジ?やるやる」


今日はママとアイクが出掛けていて、夜まで誰も家にいない。
ただ、留守番を頼まれたというのは嘘だ。
鍵をかければ済むことで、今時留守番する子供なんて聞いたことがない。
もし泥棒が入ったところで、小学生一人に何ができると言うんだと思う。

それはそうと、ただスタンを誘うにはうってつけの状況だったから使わない手はない。
実を言えば、ゲームを買ってもらったってのも、もう2週間も前のことだ。

チャンスをものにするには、多少の嘘も必要だってこと。


「お邪魔しまーす」
「僕お菓子とジュース持ってくるから、ゲーム出しといて」
「OK」


リビングから鼻歌混じりにがちゃがちゃと乱雑な音が聴こえる。

僕はそれが嬉しくて、同じ歌を口ずさみながら
大量のお菓子となみなみ注がれたジュースを運ぶ。

自分のものではないものを独占する優越ってやつ。


「新しいゲームってこれ?」
「そう、みんなハマってただろ」
「俺もうクリアした」
「え」
「ていうか、もうみんなしてると思うけど」


最新のゲームでないことは把握していた。
うちのママは割りと厳しいし、僕もそんなにゲームに熱狂できる性質でもない。
どちらかというと、出遅れるタイプだ。

でもついこの間まで、クラスでもこのゲームの話で持ちきりだったし
まさかみんなクリアしているなんて思っていなかった。
僕なんて、まだ20%くらいしか進んでいなかった。


「カイルまだクリアしてないの?」
「う、うん、もう少し」
「でもみんな飽きてるし、今更だよな」


スタンは割とクールだけど、さすがにちょっとショックだった。
最初に騙したのは僕のほうだから、逆ギレするわけにもいかなかった。

今出て行かれたら、なんだか、すごくカッコ悪いと思ったし。


「俺やっぱ帰る」
「え、スタン、お菓子くらい食べて行けば」
「今日、みんなフットボールやるって言ってたし、そっち行く」
「スタン」
「カイルもそんなゲームなんかやってないで……」


じゃあ、僕も行く。そう言うつもりだった。


「……でもカイル留守番だったな」
「あ、でも、ちょっとくらいなら」
「おばさんに叱られるだろ」
「スタン」
「じゃあ、またな」


身から出た錆?

神様、僕の一大決心を応援してくれないの。
神様は、スタンとウエンディの応援をしているの。
神様、僕はスタンを試そうとしたんじゃなくて、……。


「スタン!」
「う、わ」


ドアに手を掛けたスタンに突進して行く手を阻む。
スタンは顔を思いっきりドアにぶつけて、振り向き様に、お前!と叫んだ。

目の前の顔が赤い。
ぶつけたのと怒っているのとでだ。 けっして僕が目の前数センチにいるからじゃない。


意識して欲しいと思ったから、思い切って、もっと近づいた。
スタンの視界が僕だけになれば良いと思った。
近づいたら、唇が触れて、驚いた。

そんな、つもりじゃ。

スタンはドアと僕に挟まれて身動きが取れなかったし
僕は事故(?)とはいえ、彼にキスしてしまったことに固まった。

でも、これってチャンス。


「カイル、近い」
「……」
「カイル、どいて」
「スタン、今のは事故だよ……」
「何だよ事故って」
「スタン、ゲロ、吐かないの」
「は?」


青くも赤くもならなかった。(ぶつけた顔が赤いが)

ああ、やっぱり男なんかじゃだめなんだ。
僕じゃスタンをその気にさせることなんてできないんだ。
僕はスタンのいちばんの親友なのに、ウエンディに負けているんだ。


「ごめん、行って」
「お前、今自分が何したか」
「ごめんって……」


ちょっと試すつもりだけだった。
ちょっと距離を詰めて、顔を近づけてみるだけのつもりだったのに。

神様はなんて意地悪なんだろう。
スタンは親友で、その親友がゲロ吐くくらいその気になる女がいて、
それが僕だったらなんてちょっと試したかっただけだったのに。

僕たちの友情を壊すなんてあんまりじゃないか。


僕はスタンの顔を見ていられなくて、後ろを向いた。
親友にキスしてしまうなんて、もう、親友でいてくれないかもしれない。
そんなつもりはなかったのに、ゲイだって、明日からみんなに苛められるかもしれない。


「カイル」

ぐい、と腕をつかまれて、そのまま、また顔が近づく。
あれ、と思ったら、更に近づいて、また唇が触れた。


「キスしたいなら言えば」
「え、スタ」
「顔、すげえ痛かった」
「な、なんでキス、」
「なんでって、お前がしたから」
「でも事故だって」
「キスしたいから、今日嘘ついて誘ったんだろ」
「……っ!」


あぁ、そうか。単に僕はスタンにキスしたかっただけだったんだ。
ウエンディとかゲロとか親友とかじゃなくて。

ただキスしたかったんだ。

チャンスをものにするには、多少の嘘と過大な力技でイチコロってこと?


「じゃあな」


スタンは最後までクールで全部良いところを持っていった。

これってやり逃げじゃないのか、なんて思った。



2007.09.01
inserted by FC2 system