夏休み



一点の曇りすら見当たらない空。
太陽が放射する熱で、外界の景色がゆらゆらと滲んでいた。
外に出たら、一瞬にして肌を灼き焦がされてしまうのではないだろうかと心配になるほどだった。


「何余所見してんの」


窓の外を眺めてそんなことを思っていたら、丸めた教科書で頭を叩かれた。

八月の中旬。午後14時30分。学校の図書室。
クーラの設定温度は18℃。図書室の管理人は環境活動に非協力的らしい。


「外に出たらさ、焼け死んじゃいそうだよね」
「くだらないこと言ってないで、手動かす」
「夏なんてなければ良いのになあ。夏休みなんか補習だの追試だのって。こんなに暑くちゃ集中できないよ」
「いや、むしろ寒いだろ、クーラ効きすぎ」
「快適」
「だったらさっさと課題終わらせろっての」


夏だっていうのに新八っつぁんは温かいカフェオレを飲んでいた。

今日は午前中補習で、今はその課題に取り組んでいる。
いつもなら、午後の猛暑を避けるために、午前中の補習が終わったら即行で家に帰るのだけれど
今日は図書室で借りたい本があると新八っつぁんが言っていたので
図書室で課題をこなしているというわけ。


「なんで赤点なんか取るかな」
「先生に俺のセンスが通じないんだよ」
「それで補習くらってちゃどうしようもないけど」


俺は試験というものの重要性を少しも理解できない。

授業で習ったことを、わざわざ試験する必要がどこにあるのだろう。時間のムダだと思う。
理解できているかいないかなんて、自分がいちばん分かっていることだし
たかだか一回の圧縮された問題内容で生徒の理解を試せるとも思わない。(一夜漬けが可能だからである)

その時間を授業に当てれば、もっと学べることが増えるのではないだろうか。
教師だって、答案を作ったり採点したりする作業に追われなくて良いのだ。
効率的じゃないか。


そもそも、なんで授業を受けているくせに試験の点数が平均以下の生徒が大多数なのだろう。
試験が増える理由の一つだ。
何かと言えば小テストだの確認テストだの抜き打ちテストだのって。レベルの低さに嫌になる。
どうにかして生徒に勉強を促進させようとしているようだけれど、無駄なことだ。
これは、勉強が好き嫌い以前の話だと思う。やる気の有無でもない。
そんなに嫌なら学校を辞めるべきだろう。

試験の日程が発表されるたびにそう思う。
そのたびに新八っつぁんにそう言っては、仕方ねえだろと呆れられた。


「さすがに、白紙はまずいだろ」
「名前は書くよ」
「頭良いくせに、バカだよな」
「それ褒めてるの?」
「貶してんの」


だから俺は試験問題を解かない。
分かりきったことを何度も何度も反復させるなんて、失礼だと思う。
それが、ささやかなる抵抗というやつで、
だからこうして試験のたびに補修やら追試に終われる羽目になる。

何度そのことで担任に呼び出されたことか。


「しぶといよね、ホント」
「しぶといのは担任」
「それが仕事だからね」
「これは、信念の問題なんだ」
「学生は勉強するのが仕事っていつも言うよね、うちの先生さ」
「俺も言われた」
「平助はなんて?」
「給料もらえるんなら」


吹き出した新八っつぁんは、お前ってほんとバカ、と言って
げらげらと笑った。

俺を貶すときの新八っつぁんの顔はすごく楽しそうだ。
バカだって言いながら、そのバカにつき合う新八っつぁんもバカなんじゃないかと思ったけれど口にはしなかった。


「試験も授業も全部理解できてる俺が補習で、試験のためだけに一夜漬けで暗記した奴らは今ごろ遊んでる」
「だから、ちゃんと受けろって言ったじゃん」
「それじゃ、試験の意味は?夏休み遊ぶために受けるの?」
「真面目って言うか、自我が強いって言うか」
「だって、ほんとのことだもん……」


新八っつぁんはやれやれという顔をした。

自分でも思う。
どうしてこんなに意固地になってしまうのか。
普通に試験を受ければ、赤点などありえないし、学年でもトップの成績を取れる自信だってある。

でも、だからこそ、それを意味のない試験などで測られたくなかった。
譲れない何かが、俺を強固にさせている。


「そゆとこ、好きだけどね」


やんわりと笑って、好き勝手なことを言うと思う。
その気もないのに、いつだって唐突に俺の胸を灼き焦がそうとする。

不覚にも、泣きそうになった。

だから夏は嫌いなんだ。
こっちの都合なんかまったく無視で。暑くて熱くて。眩暈がする毎日。


「手、止まってる」
「わかってる」
「泣くなよ、つき合ってやるから」
「泣いてなんかないよ」


でも、分かってくれる人がいる。
だから、俺は俺を貫けるのだと思う。

俺はまだ若いから。自分を追い込むことでしか、何かを示すこともできない。
新八っつぁんはそれすら分かっている気がする。同年代の、クセに。


夏は、景色が熱くて。心が熱くて。

眩しくて、遠くて、何かしないといけないような、焦りと、期待でもがくばかり。


(……新八っつぁんが、見えないんだ)


手が届きそうなのに。
届かないものばかりに眼を奪われて。


「とっとと終わらせて、アイス喰いに行こうぜ」
「ホットカフェオレ飲んでる人が」
「外で喰うの」
「やだよー暑いもん」


じんわりと滲んでは溶けていく毎日が
繰り返し過ぎていく。


2007.09.02
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