生命保険


俺がアスマに惚れていることなんか、とっくに気づかれている。
気づかれていることに俺も気づいているけれど、
一応、気づかない振りはしている。
そのことにもまたアスマは気づいているだろうなと、なんとなく思う。

面倒だから、お互いに放っておいた。そうしたら、更に縺れ始めた。


俺はきっともの欲しそうな目でアスマを見ているんだろうと思う。
俺と目が合うと、アスマは決まって眉間にしわを寄せて苦笑いをするからだ。
でも、目を逸らすことはしないし、止めろとも言われないから
俺もアスマを見ることを止めなかった。
ただ、その表情はあんまり好きじゃなかった。

でも、止めても続けても、今以上に俺が妥協できる表情を
アスマがしないことを俺は知っていたから、今のまま甘んじることにした。



俺たちの関係は糸がついたボールを投げ合うようなものだと思った。
そう言ったら、笑われた。


「友好な師弟関係を築くためのコミュニケーション?」
「柄じゃねー」
「だな」


くつくつと声を殺して笑う顔が好きだ。


ボールは行ったり来たり、留まり続けることも離れて無くなることもない。
投げれば投げ返され、戻ればまた放つ。これは条件反射だ。
惰性で続いているだけの、不毛な連鎖。

俺たちも同じだと思った。

投げかけられる言葉は、くだらない内容に見せかけた、
腹の探り合いのようなしろもので。


「で、今までどんだけ投げ合ってんだ」
「知るか」
「ならせめて綺麗に投げろよ」
「は?」
「でもお前、適当だからなあ」
「あんたにだけは言われたくねえ」


のらりくらり、つかず離れず、
ふらふらと行き場の定まらない会話。
まるで俺たちのようじゃないか。

でもそれも悪くないと俺は思う。
いつまで経っても終わりの見えない関係に、気が遠くなる。
気が遠くなって、面倒になって、どうでも良くなる。
まあ、良いかと。

そういさせてくれるのなら、それに甘んじていようと決めたのだ。
それはいわゆる保身のようなもの。
定められた条件さえクリアしていれば、安全な場所にいられる保険なんだ。

ただ、その実権を握っているのはアスマなのだ。
俺が条件を破ってしまったなら、期限が切れてしまったなら、
あんたはどんなペナルティを課すのだろう。

その時は、いきなり訪れるのだろうか。
段々と、少しずつ訪れるのだろうか。
その時、いったい俺はどうなるんだろう。


「絡まったら、大変だなあ」


それは、いきなりだった。だけど、仕掛けたのは俺だった。
アスマは俺を見ている。あの表情だ。
俺のあんまり好きじゃない、顔。

ここで引けば、まだ間に合う。
また同じ不毛な日々に戻って、ボールを投げ合うことができるだろう。

ふと、俺がアスマを見ている時の顔をアスマはどう思っているんだろう、と思った。
あんまり好きじゃないんだろうな、とすぐに答えは出た。
だって、俺を見るあんたの顔、歪んでるもんな。


「あんたが、うまく投げれば大丈夫だろ」
「人任せな奴だな」
「絡まるのが嫌な奴が気をつけろよ」
「何だそりゃ」
「俺は絡まったって、別に良い」


どこまで近づけるか試してみたくなったのかもしれない。
あんたの顔がどこまで歪むのか、
どこまで行けば、呆れて掃き捨てられるのかを。

いつもはすぐ引き下がるあんたが、
珍しく食い付いて来たから。
もう、引き下がれないと本能的に感じた。
本能が、引き下がるのが勿体ないと俺に訴えかけた。


「今頃、ぐっちゃぐちゃだろうな」
「だな」
「お前が解けよ」
「無理に決まってんだろ」
「どうすんだ」
「問題ねーよ」
「ほお」
「糸なんて、簡単に切れるだろうがよ」

「分かった」


目が合って、しくじったと思った。
俺は好戦的な目に怖気づいたのだ。
敵わないと、そして叶うはずがないと、現実から逃げた。

でも、今回ばかりは見逃してくれなかった。
仕掛けたのは確かに俺だ。試そうとしたのも確かだ。

引くと思った。アスマはまた俺を甘やかすのだろうと。
なのに
何で、


「切ってやるよ、俺が全部」
「なん、で」
「ぐちゃぐちゃになって、切り刻まれたいって顔してる」
「違う」
「もう遅ぇ」
「嫌だ」
「いつもの千倍、モノ欲しそうな面しやがって」
「アスマ」


俺が認識できたアスマの最後の顔は俺の知らない顔だった。
余裕のない、餓えた獣のような顔。

これがペナルティってわけか。
保身がなくなったら、
俺にはもう、アスマ以外何も見えなくなった。
やっと、アスマだけが見えた。



2010.10.03
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