だから、もう、あんたの背中は見ない。



 背中



出会った頃からすでに、
トニーは背も高いし足も長かった。

三つしか歳は離れていなかったけれど
その差は思った以上に大きかった。



歩幅が俺の倍はあったと思う。

トニーに興味を持ち始めてから、
つきまとう様に彼を追った。
一緒に歩いていても、彼の歩幅は大きくて
すぐに引き離されてしまった。

俺は小走りで彼を追いながら
その大きく広い背中に、憧れと夢を見ていたんだ。



トニーに追いつきたくて、
勉強もしたし、体も鍛えた。

少しずつ自信がついて来た頃、
俺はトニーと並んで歩けるようになった。

並んで歩くようになったら、
今度は彼が見ていたものが見えるようになった。

急に世界が開けた気がして、嬉しかったけれど
同じくらい不安も広がった。

彼が見ているものを見たくないと思った。
いや、違う。



「トニーはさ、後ろを振り返ることはないのか?」
「どうした、急に」
「何となく」
「そうだなあ」
「あんたの背中を見て、憧れて、夢を見てる奴が、きっといっぱいいるよ」
「京介も?」
「思い上がんじゃねえ」
「ははは」
「……ちぇ」



トニーは無口で、自分のことを多くは語らない。
ただ、彼の行動を見れば、彼のことが分かる気がした。
背中で語るっていうやつ。

でも、背中で遮られたその先は、何も見えてはいなかったんだ。

全然、分かっていなかったんだ。



「京介?」



ざっと足を踏みしめて歩を進める。
俺はトニーの前へ出た。

名前を呼ばれたけれど、振り返りはしなかった。

並んで歩くだけじゃまだ駄目なんだ。



「俺、トニーが見てるものを見たくないんだ」
「え?」
「並んで歩けば、きっと同じものを見て、同じ気持ちになれるって。
 あんたに追いつけるって思ったけど」
「……」



トニーが立ち止まる気配がして、
俺も数歩の距離を保ったまま止まった。



「もっと遠くなった気がしたよ」



トニーが見ているものの中に、俺はいないんだって、思い知ったから。

彼が何を見ているのか、誰の姿を追って、
何のために、誰のために歩んでいるのか。

それを目の当たりにして、目の前が真っ暗になったんだ。

もう、彼が追うものを見たくないと思った。
いや、違う。

そうじゃない。



「トニーが見ているものを、もう見続けさせたくない」



だから俺は、彼の後ろでもなく隣でもない。
前を歩くって決めたんだ。

今度は、誰でもない、俺を見てもらうために。



「だから、もう、あんたの背中は見ない」



そう言って俺は歩き出した。
トニーがもう歩き出さないんじゃないかと不安になったけれど
後ろは振り返らなかった。

これは、トニーを手に入れるための、俺の最後の術だった。


目の前には、あまりにも広大な世界。
なんの道標もなく一人で歩くのには、苦行でしかないと思って
すでに挫けそうだった。



「こんなに、広かったんだ……」



沈みかけた夕陽が、今まででいちばん綺麗に見えて
胸が張り裂けるくらい綺麗で、

泣きそうになった。





「じゃあ、今度は、俺が京介の背中を追うよ」



すぐ後ろから聞こえたその声に
思わず涙が溢れた。



「……っ」
「まだまだ頼りない背中だな」
「……るせぇ」
「泣くなよ」
「夕陽が、眩しかっただけだ」
「なんだそれ」
「おい、早歩きすんな」
「追い抜いちゃいそうだな」
「あんた、さっき俺の背中追うって……!」
「だって、京介が遅いから」
「だってじゃねえ!」



頼もしいトニーばかり見て来たから
久々に見た嬉しそうに笑う彼を、心から愛おしいと思った。

気まぐれ、同情、友情、愛情……。
彼がどういうつもりで、俺を受け入れたのかは分からない。

でもそんなことは、なんだって良い。
今この瞬間から、俺は歩き始めるんだ。



「見てろよ……!」



あんたが死に物狂いで追う日を。
いつか。



2015.1.27
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