救いの笑顔



まさかと思う。

愛すべき彼を
こんなにもこんなにも愛して止まないのに。

いまだ彼を手に入れたいと
すべてが欲しいと切に願っているのに。

少しも、足りてなんかいないのに。



「なんだよ、その顔」


俺の部屋に入るなり、いきなりの失言。
さらに続けて、ぶっさいくな顔、と笑った。


まさかと思う。そんなこと、あってはならないと思う。

返事も待たずにずかずかと上がりこんでは
ソファに寝そべっていた俺を蹴落としソファを陣取り
挙句にジュース飲みたい、と。
そんなことさえ、ムカつくほど可愛いというのに。



「ここ、俺ん家」
「お前ん家のジュースはお前が持ってくるんだろ?」
「それ、俺のソファ」
「俺、お客さん。床に座らせる気?」
「……可哀相な俺」


本気でそう言ったのに、彼はけらけらと笑った。


あぁ、こんな彼が好きで堪らないのに
それを冷たく客観視する俺がいる。

なんだか展開が読めてしまって
新鮮味も刺激もなくて、退屈がどんどん俺を支配する。

つまらない。つまらない。

それが、怖い。


「もーだめ」
「何が」
「やる気が出ない」
「うん、そんな顔。鏡見てみろよ、魂抜けてっから」
「男前に向かってさっきから失礼だね」
「誰が男前だって」
「新八っつぁんが貶すからやる気出ないんだよ」
「やる気ねえのは元々だろ」


何がそんなに楽しいのか、よく笑うなあと思う。
俺なんか笑う余力さえないっていうのに。
蹴飛ばされて床にへばったまま、起き上がる気力もないっていうのに。

このまま、飽きちゃったら、なんて。
そう思ったら動けなくなった。


だから、ぽつりと言ってみる。



「倦怠期、かも」


窺うように彼をちらりと見れば
大きな眼をまんまるくして俺を見つめていた。


「わかった」

その一言で、一変して彼の表情は硬くなる。

本気にしたのかな、なんてちょっと心配になった。
いや、本気で言ってるんだけど。
なんて言うか、本気でちょっと試したっていうか……

言い訳がましいことが頭に浮かんでまた憂鬱になる。

(何がしたいんだ、俺は)



「別れよ」


その声は冷たかった。

全身総毛立つ。鳥肌が走って。冷や汗が流れる。
顔が青冷めているのが自分でわかった。

それが一瞬のこと。

心臓が討ち抜かれたような衝撃。
世界が終わってもそれだけは嫌だと思った。

あぁ、俺ってこんなに彼が好きなんだと今更再確認。



「し、」



「バーカ」

「、え……?」


名を呼ぶ前に


「嘘に決まってんだろ」


縋りつく前に

彼はまた笑った。なんて、愉しそうな。



「え、え?嘘って……ほんとに?」
「お前がムカつくこと言うから」
「……冗談に決まってるじゃんか」
「怠け者に刺激を与えてやったわけだ」
「しんぞうとまった」
「生きてんじゃん」
「死にそうだったよ」
「吹き出しそうになった」
「ほんとにこの世が終わったと思ったんだよ!」


泣くなよと言いながら笑い出す彼が
心底憎いと思った。




「誰が倦怠期だって?」


誰も、と強がるのがやっとで
反論する余裕もなかった。



「当然」


とその不敵な笑みを見て

大好きだなあと思った。


070707.
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