名を呼んだら、肩がびくりと震えたから
あぁ、これを待っていたのかと理解した。



救いようのない笑顔



結構前から気づいていた。

初めは時間帯とか周りの環境とか
そんな他愛のないものに左右されているだけだと思った。

夜が来れば一日の終わりに不満で
雨が降れば重い雰囲気に不満で
でも、彼がそんなことで沈むような奴だっただろうか。
むしろそれは俺のほうだと思う。

彼はいつだって無駄に元気で
夜になるとすぐ眠ろうとする俺を寝かせまいと駄々を捏ねたし
雨が降ってしっとりと濡れた空気に萎える俺をからかっては楽しそうに笑って
彼は俺といることに心底幸せを感じていたと思う。
それを見て俺は心底幸せだと思った。


今も、それは変わっていないはずだ。
こんなにも好きで堪らない熱が冷めるには、まだまだ時間がかかるからだと仮定する。

もし、変わってしまったとしたら、ゆっくり、少しずつ変わったのだと思う。
それに気づくのは至難の業で
気づいているのはきっと俺だけだ。
きっと、救えるのは俺だけだから。



空を見上げると厚い雲が立ち込めている。

さっきまで、あんなにはしゃいでいたのに
何故だか辺りは急に静かで。
今日の天気は冴えない曇りだから。
そのせいかな、なんて自分を励ましたりした。


「拾い喰いでもしたの」
「何それ」
「急に黙り込むから」
「新八っつぁん、俺のことそんなにバカだと思ってたの」
「俺が思ってても思ってなくても、バカでしょ」
「うわ、それ言ったら左之なんて救いようないじゃん」
「お前が言うな」


いつもの調子で笑って、安堵した瞬間、
また翳る表情に心臓が潰れそうになる。

それが怖くて、いつもみたいにいたくて
いつも通りを装った会話ばかり考えて考えて考えて。


「左之とお前とじゃバカの種類が違うんだよ」
「俺のバカは相手を油断させるためにわざとそうしてるの。実は切れ者」
「お前は救いようがねえ」
「ひど!俺のこの知的さがわかんないかな」
「幼稚なんだよ、お前は」
「新八っつぁんなんか、見た目が幼稚なくせに」
「何だと!」
「嘘、今のなし!」
「そういうとこが救いようがねえっての」


他愛のないいつも通りの会話は
やっぱりいつも通りバカでおかしくて

彼の笑う顔が確認したくて
殴る振りして仰向けに押し倒した上で胸倉をつかんだ。

思いっきり眼を瞑って殴られる準備は万全らしい。
そのマヌケ面は、涙が出るほどおかしくて、
俺は笑いながら泣いた。

泣いたらもう止まらなかった。
笑う声は裏返っていた。


「新八っつぁん」
「今日は雨が降るんだよ」
「嘘だよ」
「笑えよ」
「笑ってるよ」
「嘘ばっか言ってんじゃねえよ」
「自分だって」


持たないんだって。

楽しさも嬉しさも
好きで愛おしくて
ともに笑い合うこともそれまでと同じように感じるのに。

それが持たないんだって。


「笑いたいのに、楽しいのに、躰がついていかないんだ」


今まで笑いすぎたのかな、なんて冗談じゃねえ。


「もう年なのかなあ」
「ガキがナマ言ってんじゃねえ」
「見た目はどう見ても新八っつぁんのが、」
「死ねよ」


二度目はねえ、と言って今度は本当に殴った。

やっぱり顔は笑っていて、楽しくて。




(笑ってんじゃねえか)



「平助」


名を呼んだら、肩がびくりと震えたから
あぁ無理しているんだと分かってしまって、もうどうしようもなかった。



だからお前は救いようがないんだ。

救わせても、くれない。



「終わりにしよ」



070707.
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