計算高い目に手に唇に温度に匂いに
俺は堕ちた。



 スイッチ


「女心ってのは、わっかんねえよなー」


本日、俺が三回目の王手を突き付けた後、
アスマはそのまま後ろへ倒れ込んで、そう唸った。
咥えたままの煙草が危ないと思ったけれど
器用に仰向けたまま煙を立ち昇らせていた。


「何だよ、また振られたのか?」
「うるせーなーガキ」
「ガキ相手に将棋で三連敗した挙句、
女絡みのしかも振られ話で愚痴ってるあんたに言われても痛くも痒くもねーよ」
「ほんと可愛くねえよな、お前は」
「可愛かったら気持ち悪ぃだろーが」
「そりゃそうだ」


アスマが息を洩らして笑うのに合わせて
ぷかぷかと漂う煙が変形しながら踊る。

脈絡がなく意味を成さない話をし出すのはいつものことだし、
それが深刻だったり重要な話題でないことも然り。
当然、表情は穏やかだ。

気持ち良さそうに煙草を燻らせるアスマを見ていると
こっちまで眠くなってきて、欠伸が出た。
日射しが柔らかに注ぐ縁側は、夢のように平和だった。
将棋盤を片づけて、自分も寝転がる。

空には、絹のように滑らかな雲が浮かんでいた。



「今日はこのまま昼寝でもすっか」
「煙草消せよな」
「灰皿」
「足元にあんだろうが」
「見えねえなあ」


俺とアスマは、足の裏を突き合わせる格好で寝転んでいる。
灰皿はちょうど二人の足元に置き去りにされていた。
足を伸ばして、アスマの方へ蹴ってやろうかと思ったけれど
残念ながら吸殻と灰が山になっている。
そもそも、何で俺が取ってやらなきゃならないんだ。
俺はあんたの女じゃねえぞ、と言おうとして
アスマのつけ上がる顔が目に浮かんだのと、
何より、その発想の品性の無さに反省して思い直した。

風が気持ち良い。
鳥の声が遠くで聞こえる。
いつの間にか瞼が重くなってくる。
ああ、寝そう。


「アスマ」
「……」
「おい、アスマ」
「……」
「火傷しても知らねーからな」


まったく返答がない。
本当に眠ってしまったのか、それとも狸か。
アスマのことだから後者の確立が高いのだけれど、もし本当に眠っていたら……
当人が火傷するのは全然構わないのだけれど、火事にでもなったらそれこそ面倒だ。


「アスマ」

ゆっくりと十数えてから、諦めて起き上った。

アスマは寝転んだままで、目は閉じている。
煙草は咥えたまま。
今にも灰が頬をかすめて零れ落ちそうだった。

灰皿を手に、アスマの顔の方へ近づいた。


(気持ち良さそうにしやがって)


口元に手を伸ばし、煙草を抜き取る。
僅かに開いた唇に、指先が少しだけ触れた。
乾いた唇は思ったより冷たかった。

灰皿に煙草を押しつけて、端へ寄せる。
その場から離れようと腰を上げた瞬間、態勢が崩れて
アスマの上に覆いかぶさるように倒れ込んだ。

眠っているはずのアスマの目は開いていて、
手にはしっかりと俺の手首が握られていた。
目の前に迫る顔はこれ以上ないというくらい愉快そうだ。
俺は顔をしかめて、聞こえるように大きく舌打ちした。



「汚ねえ怠けオヤジが」
「そりゃどーも」
「離せって」
「つれないな」
「つれてたまるか」
「一緒に寝ようぜ」
「気色悪ぃこと言うな」
「俺とお前の仲だろ」


どんな仲だよ。
からからと笑って、アスマは手を離した。
手首には熱の余韻で、軽い拘束感がじわりと滲む。

俺はまだアスマを見下ろしたまま動けなかった。
アスマの顔に影が落ちて、ことさら意地の悪そうな表情に見えた。
本当に腹が立つ。


「何?」
「ただの世話話し?それとも恋愛相談?それとも、」
「それとも?」
「……あんたには女心なんて一生わかんねえだろうな」
「お前が男で良かったよ」
「バーカ」
「まんまと俺の策略にハマったわけか」
「ハマってやったんだって」


俺が諦めて吹き出すと、
待ち切れんばかりの速さで頭を引き寄せられる。
手の荒々しさとは逆に、唇は軽く一瞬触れただけで、すぐに離れた。

首の後ろにはごつごつした手の感触。
唇には淡い煙草の匂い。

この計算高さを、どうしてアスマは将棋に活かせないんだと思う。
そして、どうして俺は何度も同じ手に陥れられるのか。
自分がひどく欲情していることに気づいたけれど、もう遅い。



「そんなに食われてえか」
「たまには食われんのも悪くねえな」


俺はアスマに深く噛みついた。
スイッチはとうに、アスマの手によって入れられていたのだ。



2010.10.06

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