あまりにも話題が無さ過ぎて
明らかに、オレたちには不似合いな話題が、口をついて出た。

それは、まさに奇怪なできごと。



 天気雨



どうしてこんな話になったのか、思いだそうとしても駄目だ。
普段から怠けている頭は、当然、回そうとしたって回るものじゃない。

頭はぐるぐると、
心臓はとくどくと、
激しく揺れ、激しく脈打ち

うるさい。 うるさい。
静まれ。

これじゃあ、きっと


「オレは、いるよ、好きな奴」
「……え」
「恋、してる」
「……、……」


どくん、どくん、どくん。
大太鼓とシンバルを、耳元で叩いたような、鼓動、そして耳鳴り。
何も聞こえない。
うるさい。

嫌だ。
嫌だ?
静まれ。
どうして?


「三橋?」


オレの顔を見て、阿部君はびくっと目を瞠った。
次に困った顔。
最後に、苦渋に歪んだ顔。

少し、怖い。


「あ、れ?」


瞼が熱くて、頬に生温いものが這う気配。

遅れて、自分が泣いていることに気づく。
阿部君以上に、自分自身がいちばん驚いた。


「三橋」
「変、だな」
「三橋」
「ごめ、阿部君の、せい……じゃないよ」
「違うよ」
「ちがく、ない。オレ、変、なんだ」
「だから違うんだって」
「ちが……」


阿部君が、オレの肩を掴んだ。
拍子に首が仰け反って、一瞬咽喉が詰まる。
怖い、と思った。

ごめんなさい、と口にしようとしたけれど、
阿部君の言葉が被さって、音もなく消滅する。
嫌だ、と思った。


「オレのせいだ」
「え……?」


頭が、回らない。
そもそも、阿部君と話し始めたときから、ずっと回っていない。
大体そうなのだ。

阿部君といると、急かされるような、問い質されるような、煽られるような、
強迫観念に駆られる。
恐怖と緊張で、体は硬直し声が上擦る。
大体そう……いや、いつもそうなのだ。

これって、でも、失礼なんじゃないかな……、なんて思いながらも
極度に反応する体を止める術はなく。


(だって、阿部君は優しいのに……)


優しいのに、怖い。
優しいからって、怖くないとは限らないなんて、
親切な幽霊みたいなものだろうか……。

ほとんど動いていない中の、ほんの僅かに活動する脳みそは、
こんな馬鹿げたことを考えるのに使われて、
現状を理解するには、ほど遠く、その可能性すらなかった。

うまく喋ることができない代わりとでも言わんばかりに、涙だけが流れ続けた。

両肩が、阿部君に固定されて、身動きが取れない。
涙を拭いたかったけれど、言いだすこともできないのだ。


「オレのせい、だろう?」
「ど、して……?」
「お前も、」


オレ、も?


「お前も、恋、してんだよ」
「……誰、に……?」
「……」
「あ、の……」
「……オレに」
「阿部君、に……?」


阿部君は、オレから目を逸らして、地面を見る。
なんとも言えない、表情。
何かを我慢するような、笑いを堪えるような……
焦っているような、罰が悪そうな……

ああ、でも、わかった。
そうか。
これは、同情。
だから、涙が出るんだ。
オレ、悲しかったんだ。

阿部くんが、誰かに恋をしているのが、悲しかった。

どうしてだろう。
それは、とても素敵なことなのに。
祝福すべきことなのに。
でも、喜ぶだなんて、とうてい無理そうだ。
だって、嫌なんだ。

嫌?
嫌だ。
どうして?
だって。
だって?

だって、オレは、
阿部君に、恋しているのだから。


理解したら、更に涙が溢れて、
これじゃあ、きっと、
全部、ばれてしまう。

いや、もう、ばれているんだった。


「三橋……?」
「ごめ、なさ……」
「なんで、謝んだよ」
「ごめ……」
「オレが言ったこと、間違ってたのか?」
「ま、ちが、ってない……」
「じゃあ、なんで、」
「気持ち、悪い、よね……オレ、なんかが、阿部君、を……」
「は?」
「でも、オレ、……期待とか、しない、から」
「ちょっと待て」
「だから、もう、離して……」


自分ですら気づかずに恋をして、
まさか当の本人に気づかされて、
そして挙句に、失恋。

なんて、お粗末。なんて、憐れな。

悲しくて、恥ずかしくて、
もう、全部が嫌で、
逃げ出したかった。


「三橋」
「いや、だ」
「嫌じゃねえ」
「やめて、もう」
「嫌だ」
「ひど、いよ、」
「ひどいよ、オレは」
「……っう」
「仕方ねえだろ! 好きなんだよ、お前のことが!」
「……え……?」


驚いて顔を上げると、
また、なんとも言えない、表情。

オレの肩から、力が抜けるように阿部君の両手が下りていく。
ずるずると、名残を惜しむように。
触れていた個所が、じんじんと熱を発した。


「お前、また変な勘違いしてんだろ」
「かん、ちがい?」
「オレが恋してんのは」
「いや、だ」
「聞けよ」
「聞きたく、ない」
「三橋!」
「……っ」


「オレは三橋に恋してんだっつってんだよ!!」


耳を劈くような怒声に乗せられた、愛の言葉は、
あまりにも不釣り合いで、

この人に、なんて不似合いな言葉なんだろうと思った。

顔は青ざめて、眉間には深い皺。
目は血走って、上向きに湾曲した口元は、強張って歪んでいる。

ああ、阿部君、
もしかして、照れているんじゃないのか。すごく、怖い顔で。
オレは不謹慎にも、この顔が好きだと思った。

阿部君の怒った顔がぼやけて、滲んだ水に光が反射して、
それは、なんて、綺麗なんだろうと思った。


「何でもっと泣くんだよっ! ほんと、うっぜえな!」
「ごめ、でも……」
「オレが泣かせてるみたいじゃねえか」
「そうだって、言った……」
「ああ、そうだな。そうだよ、オレが悪いんだよな。もう良いよ、好きなだけ泣いてろ!」
「……あり、がと」
「おま……っ、嫌味も通じねえ……!」
「好きだ」
「え」


阿部君の目が、ゆっくり、見開いて、
まんまるになる。

今度はオレが、阿部君の手を取って、握った。
その手は、まだ熱かった。

数秒。

阿部君は息をしていないのか、完全に静止してしまった。


「オレも、阿部君が、すこく好きだ」


阿部君の顔はみるみる赤く染まって。
耳たぶまで真っ赤になって。

可愛いな、なんて言ったら、 もっと怒るんだろうな。


これは、まさに奇怪なできごと。


2015.7.7
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