「あんたを俺だけのものにしたいんだ」

「良いよ。やるよ」



 呪い


三つ上のトニーとは、中学も高校も一緒にはならない。
俺が中学に上がれば、トニーは高校へ。
俺が高校へ上がれば、トニーは大学へ。

当然のことなのに
何だか、逃げられているような気持ちになった。


「今、帰りか?」
「……まあな」


予備校の帰りだった。
薄いコートの襟を立てて、顔を埋めるようにを歩いていたから
人影に気づくのが遅れた。

急に声を掛けられて、内心は飛び跳ねるほど驚いたけれど
表には出さなかった。
相手がトニーだと分かって、冷静を装えたことにほっとした。

時刻は22時過ぎ。
昼間の暖かさからすると、最近の夜は信じられないくらい冷えた。
夜も更けて、厭に静かな住宅路が冷たさ助長していた。


「どうだ? 調子は」
「うーん、まあ、普通」


毎日、追い込みをかけるように予備校へ通う受験生たち。
俺もその一人。

10月の終わり、少しずつ肌寒さが纏わりついてくる、この季節。
センター試験までは、3ヵ月を切っていた。


「何だよ普通って」
「普通だよふつー」
「余裕だな、京介は」
「この時期に焦っても仕方ねえし」
「そうだな」


トニーは安心したように笑った。
優しい笑顔。
こんな時間に、こんな場所にいるなんて
余程、俺のことを心配してくれているらしい。

余計なお世話だっつーの。


「ご心配どーも」
「心配なんかしてないよ」
「夜の10時、俺の家の前で待ってて、そんなことよく言えたもんだ」
「それもそうか」
「みんなのとこ、回ってんのか?」
「まあ、今日は時間があったし」
「ふうん」


怒りと
安堵と
そして嬉しさが入り混じる。

たかだか受験で心配されるということは、
まだまだ俺のこと、頼りないガキだって思っている証拠だ。
ただ、自分以外にもそうしているのなら、まだ良かった。
自分だけ心配されるなんて、それ程の屈辱はないからだ。
もしそうだったら、ぼこぼこに殴っているところだっただろう。
(トニーが本気を出したら、ぼこぼこにされるのは俺のほうだけれど)

傍や、みんなと同列かよ、と不満も抱いているのだから、
そこは複雑というか、我侭というか。

トニーは優しくて、みんなに優しくて
それが時々、もの凄く鬱陶しく思えるのだ。


「春から、後輩になるのか」
「受かればな」
「入れ違いだったからな、いつも」
「……そうだったかな」
「嬉しいよ」
「え」
「京介と同じ大学で勉強できるんだなって」
「な、に言って……」


さっきまで寒さで委縮していた体が
一瞬で燃えるように熱くなった。

うまく声が出なくて、顔を絶対に見られたくなくて
隠すように顔を逸らす。


「昔さ、言ってくれただろう?」
「何を?」


過去を思い出すように遠くの空を見るトニーの横顔は
穏やかだった。
俺は目だけで、その顔を追った。

懐かしくて、暖かい
でも少しだけ、切ない、過去。


「俺もいつかトニーみたいになりたいって」


俺が思い出さないようにしていた、過去。


「覚えてないよ」
「10年くらい前だもんな」
「どうだったかな」
「勉強とか、運動とか、よく競ってきたよな」
「どうせ全部ぼろ負けだろ」
「覚えてんじゃん」


トニーが、トラックに轢かれそうになった俺と猫を助けてくれた日から
俺はトニーの虜になった。

毎日心ない出来事で溢れかえっている世の中で、
自分が思い描く正義感や理想なんて
この世に存在しないんじゃないかと疑った。

思い描くだけで何一つ成し遂げたことなんてないのに、

勝手に世の中に期待して、
勝手に落胆して、
俺の中にある理想は、固く抑えつけられて、
見つけられない程遠退いてしまっていた。


「別に、トニーを追って同じ大学に行くんじゃないけどな」
「分かってるよ」
「分かってないよ」
「京介?」
「あんたに憧れて、あんたを目指していた俺は、もういない」


俺に光を与えてくれたのはトニーだった。

そこには、
眩しいくらいの優しさと、圧倒的な強さがあった。
何ものも恐れない、何ものにも覆されない、
ただ、目の前にいる人のため。小さな幸せのため。


「トニーは、俺にとって同じ人間じゃなかった」
「え?」
「トニーは、完璧だったんだ」


誰もがそんな理想をトニーに押しつけて驕った。

俺は、一度だって
手を差し伸べることも
立ち塞がることも
壊すことも
できなかった。

雲の上の存在だと、決めつけて。
ただ憧れていれば良いのだと勘違いした。

ぬるま湯に浸かり犯し続けた
致命的な罪。

悔やんでも遅い。
あの時、あんたを救ったのは、どうして俺じゃなかった?


「あんたを守りたいんだ」


今度こそ。光を。


「二度と、あんたを失いたくない」


チャンスがあるのなら。


「京介……」
「何言ってんだか、俺……」
「ありがとう」
「……」
「俺は、本当に恵まれている」
「は?」


顔を上げると、聖母のような顔でトニーが俺を見ていた。

生ぬるい、
凍るほど冷たくも、爛れるほど熱くもない。


「あの頃、俺は一人で生きていたから」
「うん」
「誰にも縋ってはいけないと」
「トニー、今度は……」


今度は、俺が。


「でも、マミーが救ってくれた」


今度は、俺に。


「あの時死んだ俺に」


苦しい。
まだ覚悟が足りないのか。


「生命を与えてくれた」


俺に、
俺だけにあんたを救わせて欲しいんだ。


「俺には、みんながいるんだって、そう思えたんだ」


違うよトニー。


「やめろよ」
「え?」
「みんな、なんて、言うな」
「京介?」
「俺は、あんたの光になって、」
「……」
「あんたを俺だけのものにしたいんだ」


急に燃えあがった炎は
その心細さに
ありったけの熱を奪われて。

灰になるだけ。


「そっか」
「……」
「良いよ。やるよ」


軽く囁かれた言葉は、
あまりに軽過ぎて、闇の中に呑み込まれた。

トニーの真意が見えなくて、顔が見られなかった。



「でも、お前はマミーには、なれない」



核心をつかれて、息が苦しくなった。
目の前が真っ暗で。

駆け出して、家の中に飛び込む。
だからガキだって言うんだ。

呪いのような、醜い嫉妬心。
逃げられているんじゃない、
向かうべき道を見誤ったんだ。



2014.12.16
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